2013年10月14日

記憶というイメージ


先日読んだ本に「記憶維持」についての興味深い研究が紹介されていました。


ある大学生のグループが、とても短い三十秒のストーリーを言い渡されました。

研究者は

「これから皆さんに話すストーリーを、できるだけ正確に覚えていてください。その後、いくつかの間隔を置いてそのストーリーを思い出してもらいます。」と説明しました。


学生たちはできるだけ正確にストーリーを覚えることだけが課題であり、

その一分後にそのストーリーを繰り返すことを指示されるとわかった上で、その話を聞きました。

五分後、再び繰り返すように言われ、それから三十分後、一時間後、十二時間後、一日後、二日後、一週間後、そして最後は二週間後です。


研究者が発見したことは、まさに初回、たった一分後にストーリーを話すときに、学生たちは既にストーリーを歪め始めたということで、学生たちの記憶は想像したより正確ではないということでした。


研究者はとても頭のいい学生たちに、ただ単に記憶するだけという比較的簡単な課題でストーリーを伝えたにも拘わらず、わかったことは学生たちが聞いたストーリーを再び話し始めたとき、三回目か四回目以内で、元々の話がほとんどわからなくなり始めるほどにストーリーが変わってきたのです。

しかもそれは、ストーリーを聞いてからほんの一、二時間以内で、ストーリーを話した三回目か四回目以内です。

一週間後、明らかに二週間後までには、ストーリーはあまりに歪められていて、最初のストーリーからするとほとんど想像もつかないほどでした。


それでもなお、学生たち全員が自分はストーリーをとても正確に記憶していると本当に信じていたのです。


(「大いなる恩寵に包まれて」アジャシャンティ より)




この研究から言えるのは、

私たちの過去の記憶は実際の記憶ではなく、いろいろな考えやイメージが作り直されて再構成されたものであるということ。


「ある瞬間は過ぎ去った時点で消えている」ということです。



記憶ってとても曖昧なもの。自分の中の物語なのです。得意げ



道を歩いていて「人とすれ違った、人と目が合った。」ということを経験したとします。

いま言ったことは純粋な事実のみですね。


ですがそこに自分のストーリーをくっつけ始めます。

「あの人は私を変だと思ったんじゃないか。」

「なんか服がおかしくて見たのじゃないか。」などなど。

するとただ単に

「人とすれ違ったときに目が合った」という何でもない出来事が、

不快なストーリーとして記憶に残ったりします。


つまり純粋な事実に、自分なりにいろんな解釈をくっつけていることが

私たちの苦悩につながっているのです。


1人ひとりが

純粋な出来事を「自分なりのものの見方」で見ています。

それぞれが自分が創った世界に住んでいます。


ヒプノセラピーでは、

過去の記憶、過去の感情に寄り添っていくことも多いのですが、

そこで行うのは過去の出来事を変えることではありません。

起きた純粋な事実は変わりません。


癒されるというのは

過去の出来事が変わるのではなく

出来事にくっつけた自分の解釈、つまり「ものの見方」が変わることなのです。


「自分の」ストーリーが変わるのです。



わたしたちは

自分が創った世界の中で苦悩もするし、

そして自分の世界の中でどんどん癒されていきます。星






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kitanomori26 at 10:46│ ヒプノセラピー(催眠療法) 
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