2012年12月

2012年12月31日

あるがまま


人と違うことに不安を感じる方がいます。

「私って変ですか?」(´・ω・`)

と。

私から見れば、変というよりその方の才能や個性だと感じることが多いです。
けど「自分はなにか間違っているんじゃないか」という漠然とした不安から、
「人と同じ」であることに安心を求めようとします。
そして自分の個性や力を認めることができないでいます。

けれど本当はみんなあるがままで生きたいのです。

「普通」って実はすごく曖昧で、
よく「今の若者は何考えているかわからん!」みたいなことを私の世代は親の世代に言われたし、
いまの10代もきっと私の世代に同じこと言われた経験があるかもしれません。

猿の惑星から立って話す猿が地球に来たら、その猿を「変」「普通じゃない」と思うだろうし、
逆に猿の惑星に人間が行ったら、人間が変な生き物ですよね。

見る人や視点によって「変」の基準がいくらでも変わる、
とっても曖昧なものです。


足立幸子さんの「あるがままに生きる」という本にこう書いてあります。


『私は小さいころから「私は親の生き方とは違う」という反面教師の親を持ちましたので、今考えると「ありがたいなぁ」と思うのですが、親にことごとく反発して、どうしたら親を諦めさせられるかと一生懸命抵抗しました。

とにかく諦めてくれたら、こっちのものなのですね。

やりたいことがやれますので。

ですから会社なんかでは、変わり者とか変人と思われたらしめたものです。

そういうレッテルを早く貼ってもらえれば、マイペースでやりたい放題出来ますね。

先日も沖縄で「県人会ではなくて、変人会というのをつくったらどうですか。みんなで変人になれば怖くないですから」と申し上げたのですが、とにかく変人というレッテルを貼られたらしめたものですよ。

やりたいことが、本当にやれますからね。

誰かがやらないと世の中は変わりませんから、どなたかが勇気を出して変人になってください。

枠をどんどんはずして、

「もっと本音で楽にやりましょうよ。お互いに本音でやったら楽ですよ。
私を見てください。こんなに楽に生きているじゃないですか」
という本音であるがままに生きる生き方を、回りの人に見せてあげてほしいのです。』



あるがままに生きるとは、自分もあるがままにやり、相手のあるがままも受け入れることです。
(自分はあるがままにやり、相手のあるがままは受け入れない場合を「わがまま」といいます)

「あの人は、こういう面とこういう面とこういう面を持った人なんだ」とただただ受けれいて、ただただ見るだけです。
良い悪い好き嫌いは自分だけの尺度。その自分の尺度で一切判断しないということ。
それが人をあるがままに見る、あるがままに受け入れるということ。

自分自身に対しても同じです。
「私はこういう面とこういう面とこういう面を持っている1人の人間なんだ」と
あるがままに見、あるがままに受け入れていきましょう。
ジャッジは要りません。


そして自分らしさ、「変な自分(?)」を

楽しんじゃいましょうにひひ



 

kitanomori26 at 13:06|Permalink 日々のこと 
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